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大阪家庭裁判所 昭和46年(家)5530号 審判 1972年9月07日

申立人 阿久津宮子(仮名)

相手方 下島公直(仮名)

事件本人 下島美鈴(仮名)

主文

事件本人の親権者を相手方に指定する。

理由

本件調査の結果によると、

(1)  申立人と相手方は昭和四四年四月見合結婚し、同年八月二〇日婚姻届出をした。申立人は結婚後香川県綾歌郡○○町の実家から来阪し大阪市○○区○○○通○丁目××番地たちばな荘で新婚生活にはいつたが、その後間も

なくぜんそくの発作をおこし、夜中に苦しんだりするようになつた。そのうち昭和四五年二月二五日事件本人が出生したが、申立人のぜんそくの発作が激しくなり、夜中に眠ることもできないし事件本人の面倒も看ることもできず、相手方は翌日の仕事にも支障ができるので相手方の母下島ミサ子に住居のアパートへ来て、事件本人の面倒を見て貰つたりしていた。ところが申立人は相手方の母や姉沢藤悦子に迷惑をかけることを嫌がり、「事件本人の世話位は相手方がしてくれたらよい」といい、相手方は「困つたときには母や姉に素直に助けて貰えばよい」というのでよく口論になつた。申立人は昭和四五年一二月二人目の子を妊娠したが、ぜんそくがよくならないので病院で出産は無理だといわれ、しんどいから高松の親元へ帰つて入院したいといい、相手方は大阪の病院へ入院せよということで意見が対立したが、結果的には大阪の○○○病院で昭和四六年一月妊娠中絶をした。その後も夫婦仲はうまくゆかず遂に昭和四六年二月申立人は事件本人を連れて相手方の家を出て上記実家へ帰つた。その後申立人から相手方に電話があつたとき相手方は「帰つてくるのなら早く帰つて来い。」といつたが、申立人は戻つて来なかつた。そのうちに申立人の父忠臣が大阪へ出て来て相手方に「申立人を戻らせて欲しい。」と頼んだので相手方は「子供のためにももう一度よく考えて戻つてきてくれることを願つている。」と返事して置いたが、昭和四六年五月一三日に申立人と同人の父、仲人等が出て来て色々話し合いをしたが、申立人は「帰つてきてもしんどいだけである。」とか「自分はマージャン等に遊んでばかりいるのに私ばかり苦労しなければならない。」等といい出したため話がもつれ、結局離婚した方がよいということに決まつた。

そのとき相手方は「子供のことについては申立人の好きなようにしたらよい。連れて帰るなら連れて帰つてもよい。」といつたが申立人は「子供はいらない。」といい、申立人も同人の父も「申立人の将来のことを考えると、事件本人を引取ることができないから事件本人を育ててほしい。」といつて事件本人を相手方のもとへ置いて帰つてしまつた。ところが三日位して申立人と同人の弟弘臣とが相手方のもとへ「事件本人を返して欲しい。」といつて来たので相手方は「離婚の話を決めたとき何故連れて帰らなかつたか。」といつたところ、「あのときは何が何だか判らなかつたが後でよく考えてみたら子供を欲しいと思うようになつた。」ということであつたので、相手方は「そんな不安定な気持では将来が心配であるから子供はまかされない。」と上記弟にもよく話をして帰らせた。

(2)  昭和四六年五月二九日申立人より相手方に対し離婚の調停申立があり、当庁昭和四六年(家イ)第一六二六号夫婦関係調整事件として係属し、昭和四六年七月七日「申立人と相手方とは本日調停離婚をする。双方間の長女美鈴(昭和四五年二月二五日生)の親権者は審判によつて之を定める。」との調停が成立し、同調停に基づき本件親権者指定の申立がなされた。

(3)  相手方は大阪市立○○○高校卒業後すぐ○○製作所大阪支店へ経理事務員として入社し現在に至つているが、収入は月収手取り五万二、〇〇〇円位。相手方は申立人と別居後、日常生活については相手方の母下島ミサ子、同姉沢藤悦子に援助を受け、事件本人の世話及び相手方の食事の準備等全部して貰つている。毎日寝起きは上記下島ミサ子(六〇歳)と事件本人と共に大阪市○○区○○○通○丁目××たちばな荘アパートでして、食事は大阪市○○区○○△△町○丁目×番地上記沢藤悦子方へ行つてすませている。上記たちばな荘は六帖、二帖炊事場を借り、木造二階建のアパートの階下、上記悦子方とは徒歩二分位離れている。上記悦子の家族は夫沢藤睦夫(四五歳)○○運輸、起重機運転士、姉本人沢藤悦子(三五歳)無職、長男沢藤安之(一三歳)中学二年、次男沢藤洋(一〇歳)小学校四年の四人暮しで、下島ミサ子名義の家(木造二階建、一階四帖半、三帖板の間六帖、炊事場、二階六帖、三帖)に居住している。相手方は朝八時過ぎに家を出て会社へ行きタ方六時頃に帰つて来るが寝るまでずつと姉の家でテレビを見たりしている。事件本人も朝起きるとミサ子と共に悦子方へ来て終日暮し、夜相手方やミサ子と共にアパートへ帰つて寝るという生活を続けている。

(4)  事件本人の日常の食事や用便等の世話は悦子とミサ子がこれに当つており、悦子方は男の子二人で、女の子がないため事件本人を大へん可愛がり自分の子のようにして、おしめをかえたりしている。事件本人は丈夫で元気であり、病気らしい病気はしたことがなく、悦子の子供たちに「ニイちやんニイちやん」といつて後を追いすくすくと大きくなつている。離乳食等も悦子が一切面倒をみて一生けんめい手を尽しているので心配はない。

(5)  申立人は高校卒の学歴で現在高松市内洋装店へアルバイト店員として勤務しており父母及び弟と四人家族で父阿久津忠臣(五八歳)は○○郵便局の郵便集配人として約三〇年間勤務しており月収は約七万円である。母フサノ(五〇歳)は無職、無収入である。弟弘臣(二三歳未婚)も父同様に上記郵便局の集配人で月収約三万円である。資産としては忠臣所有の現住家屋(木造瓦葺中二階建、建坪約二〇坪、敷地は借地)があるだけであるが、田一反三畝を小作しており経済的には安定し家庭は極めて円満である。

との諸事実を認めることができる。

二  以下事件本人の親権者について当事者双方のうちいずれが適当であるかを検討する。

(1)  申立人、相手方の生活状況

上記認定の通りであり、双方ともに学歴、社会的地位、生活状況については特に大きな差はなくいずれも中流サラリーマン家庭である。

(2)  事件本人養育についての家庭環境

申立人家庭は申立人の母が病身であつたため、父が細かいことまで気をつけて日常家事についても気をくばり男も女もお互いに困まれば扶け合つていくという雰囲気のようであるが、相手方の家庭はその役割について男は外で働いて生活費を得て家族を養い、女は家事に専念すべきであり、男が日常家事について関与すべきでないという家庭の考え方の違いが見受けられる。申立人の母フサノ(五〇歳)は二年位前からリューマチを患らい病身であるが家事仕事位はできるようであり、家庭は円満で事件本人の引取りには協力的である。相手方の母ミサ子(六〇歳はやせてはいるが元気で病気もなく日常事件本人の世話をし夜寝るときも事件本人と一諸に寝てこまごまと面倒をみていること、姉悦子(三五歳)は明るいものごとにこだわらない人柄で気持よく事件本人の世話をしていることは前記認定のとおりで、できれば事件本人を養女に欲しいと希望している。悦子の夫は無口ではあるが事件本人の養育については特に口をはさまない。従つて申立人、相手方家庭とも事件本人の養育については協力的で家庭の考え方の違い、雰囲気の差は多少あるようだが、考え方が一貫しているかぎりいずれの家庭に引取られても特に支障があるという点は認められない。

(3)  申立人、相手方の事件本人に対する愛情、努力

申立人は事件本人を相手方にまかせたのは「子供を預ければ子供可愛さに相手方がもう一度思い返して夫婦の問題について考えなおしてくれるのではないかという気持で渡したものであつて事件本人に対する愛情がないために手離したものではない。」といい、申立人の行動の是非は別としても事件本人に対する母親として本当は手離したくなかつたのだという気持は充分見受けられる。本年になつてからも事件本人のため相手方のもとへ数回贈物をしてきており、事件本人のことについては心にかけていることは認められる。相手方については事件本人に対する直接的な愛情の表現はみられないとしても事件本人の養育について母や姉に手厚く依頼し晩も早く帰るし、もし今後再婚するとしても事件本人のことについて充分理解のある人でなければしないとか、事件本人の将来について充分配慮しており、放置しているとか、冷淡であるとかいうようなことはない。従つて申立人、相手方とも事件本人のことについてはそれぞれの立場において努力していることは間違いないものと思われる。

(4)  申立人、相手方の性格、行動傾向、健康状態

申立人は自己中心的な考えに支配されやすく、申立人夫婦が離婚に至つた原因については相手方が冷たい人間で申立人のことを少しも考えてくれない人であつたからということにこだわり、相手方の努力については少しも目をむけようとしない視野のせまさが見受けられる。なお夫婦の問題についてはすべて夫である相手方が何とかしてくれるというよりも、すべきであるという依存的な甘い考えがありその甘えを素直に態度に表わすことができず離婚の話合いの際子の監護の話合いについても真に子供のために夫婦関係を解消すべきではないと考えているのであれば直接それを問題とすべきであるのに、「相手方が子供のことを考えればもう一度夫婦円満になる努力をしてくれるのではないか。」と思い事件本人を相手方のもとに置いて帰るという態度に出て相手方が何とかしてくれることを期待する甘さがあり、申立人には依存的、衝動的な行動傾向が見られ、申立人の心理テストの結果によつても「表面的にはおとなしい落着いた情緒的にも暖かなようであるが、未成熟さがあり深刻な事態に当ると現実的解決に失敗し易くそのときは誰かに頼り、自分を人に預けてしまうような解決方法をとりやすい。」という特徴があげられている。相手方の人柄は穏かで真面目な感じを受けるが、話をしていると、処々頑固な譲らないところがあり、一度決めると絶対考えを変えないような融通のきかなさというものが感じられ、ただ決心をするまでにはいろいろ自分で迷い、考え、配慮するというところは見受けられる。心理テストの結果では「衝動、情緒の統制ができ安定して物事をてきぱきと処理できる人であるが自分に忠実であり自分の考えをしつかり持つている。抑制がききやすいだけに意地を張り真実とは反対の方向に出たり、攻撃が内攻したりするという問題はもつているが基本的には協調性に欠けるような人ではなく、将来を考え予測できる一貫した行動のとれる素質」という特性があげられている。申立人、相手方の健康状態については、相手方は健康上特に問題はないが、申立人については、ぜん息の持病があり現在は激しい発作はないようであるが息苦しくなる等の身体的障害はあるようである。

三  以上申立人、相手方の条件を検討したが、双方とも事件本人に対する愛情や努力は充分認められ、智的能力、生活態度においても事件本人を監護養育していくについて特に支障があると思われるような点は見受けられず、その差も余りない。ただ強いていえば、性格的に申立人はやや未成熟な依存的なところが見受けられ、困難な問題にあえば行動が混乱し現実的な問題解決能力に不安がみられることと、現在発作はないがぜん息の持病がありその点が事件本人の将来の監護養育について支障とならないかという不安がある位である。事件本人については二歳という年齢からみて母親との接触の必要性ということが考えられるが、相手方のもとでは相手方の母、姉に母親としての役割を充分期待できるし、現在の養育状況から見て充分その任務が果されるものと思われるので強いて考慮に入れる必要はないものと考える。

以上申立人、相手方の監護、養育能力については特に支障となるべき大きな問題は認められないが、申立人についての上記二点及び事件本人は昭和四六年五月から相手方のもとで支障なく養育され元気に成長しており相手方の家庭の一員として明るく育つている点から考えると母親として申立人が手もとで養育したいという気持は理解できるにしても、現状を強いて変更する必要は認められない。よつて親権者を父である相手方に指定し、同人をして監護、養育させることを相当と思料し、主文のとおり審判する。

(家事審判官 古川秀雄)

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